『母らしい葬儀ができました支えてくださった葬儀社の方々に感謝しています』
「母は笑顔の似合う頑張り屋でした」
私達娘がまだ4歳くらいの時に、父が他界しました。
それからの母は、朝も昼も夜も働いて私達を育ててくれました。
私達が中学生になった頃からは、正社員になって本格的に働き始めました。
まさにがむしゃらだった あの努力がなければ私達はどうなっていたでしょう。
母は苦労人でしたが、明るい社交家でした。
自分より十歳も若い方々ともお付き合いがあって、ボウリングにカラオケ・ダンスに食事会と、楽しく過ごしておりました。
努力と笑顔で、周りと自分自身の暮らしを実りあるものにした母は、私達家族にとって自慢の存在です。
「すばらしいご提案とご対応に感謝しています」
そんな母が他界したのは、2020年12月3日でした。
愛する母をきちんと見送りたいと思いつつ、コロナ禍でどのような形になるのか不安でした。
そんな中での平安会館鳥山さんのご提案とご対応に、どんなに救われたか分かりません。
母はボウリングが好きだった言えば、ボールとピンの画像を祭壇に貼り、カラオケも好きだったと言えばマイクの画像を印刷してくれました。
通夜は家族のみで行い、会葬者の方々にはその前後に来ていただくという手配をしてくださったおかげで、慌ただしさから解放されて心ゆくまで母との思い出を振り返ることができました。
お棺には、バラやカーネーションを年の数だけ入れようということになりました。
来られた方達に一本ずつ入れていただき、母の顔の近くも体の傍も色鮮やかな花でいっぱいで、あまりに綺麗で写真まで撮りました。
「母の最期の望みを叶えてあげることができました」
そして母を霊柩車に乗せた後のことです。
担当の鳥山さんが、走り付にある母の実家に立ち寄ってくださったのです。
母はずっと一人暮らしをしておりました。病気になってからは少し離れたところにある私の家に身を寄せていたのですが、思い出の詰まった実家に「帰りたい」と繰り返しておりました。
そのため、一度は実家に連れて行こうと話していたのですが、その矢先に母は他界してしまったのです。
霊柩車で実家を訪れた際には、前もって連絡をしていただいたおかげで親戚や近所の方達も来てくださいました。
母は懐かしい場所で懐かしい人達と最後に会うことができて、きっと喜んでいたはずです。
私達家族も胸のつかえが取れたことは言うまでもありません。
「遠い未来には私のことも宜しくお願いいたします」
来られた方達には「安子さんらしい葬儀だねー」と大変好評でした。
私達家族も、和気藹々というのでしょうか、思い出話に花を咲かせながら、たくさん泣いてたくさん笑って、明るい母にぴったりのお別れをすることができました。
平安会館の方々には、担当の鳥山さんをはじめ、お世話になったという気持ちしかありません。
これまでも親戚の葬儀を何度かお願いしていましたが、今回も頼んで本当によかった感謝しております。
次と言っては何ですが、その時もまた頼らせていただきたいと思っております。
本当にありがとうございました。