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あらためて母の生き方を 知ることができた温かい時間でした

母は根っからの世話好きでした

 

 

母は自分のことは後まわしで、人の面倒をみるのが大好きでした。

気さくですぐに周囲の方と親しくなり、分け隔てなく接する性分。

誰かが困っていれば放っておけず、必ず力になっていました。

世話になったと駆けつけ、涙を流してくださる方が多く、あらためて母の人となりに触れることができました。

 

 

仲良く、和やかな雰囲気が満ちた時間

会社の方々、友人方、親族と多くの方がお越しくださいました。

選んだプランは父の時と同じで、葬儀を行うのも同じ場所。

さらには父の時にプランナーを務めてくれた内野さんに葬儀を担当してもらい、とても母にふさわしい『和気あいあい』とした時間を過ごせました。

母に合った見送り方をできた、このことが慰めになっています。

 

 

親父の時と同じ場所で…。

3年前 父が他界した時はコロナ禍でしたので、家族葬という形を選び「結家」を利用させてもらいました。

その時は静かな葬儀だったと記憶しています。

今回も家族葬で同じ「結家」を使わせていただきましたが、コロナも落ち着いてきたのと、母の面倒見のよかった人柄が相まって、多くの方がお別れの挨拶に来てくださいました。

ありがたいことにお花もたくさん頂戴して、豪華なほどにずらりと並び「親父さんの時より派手になっちゃったなぁ」と、うれしい戸惑いを感じました。母は最後まで幸せでした。

 

 

母の姿は胸の中に いつまでも

葬儀を終えた後も、近所の方や親戚など多くの方がお参りに来てくださっていろんな話をしてくださいます。

そうして語り合っていると、母の存在が今もすぐそばに感じられます。

「そうそう、そんなことがあった」「あの時はこうだった」と和やかに語り合う中で母の生き方をより深く知ることができ、感謝の思いをつのらせる毎日です。

 

 

これからも頼りにしています

 

3年前 父を見送る際、プランナーとして話をしてくれたのが内野さんでした。

気さくで明るく、一緒に話をしていて非常に気持ちのいい方です。

それで、母の葬儀をぜひ担当してほしいとお願いしました。

家族もみんな、内野さんのことをよく覚えていたので話が弾みましたし、何よりも安心できました。

親しみをこめて「内野」と呼んでいますが、「内野がよくしてくれた!」と感謝しています。

これからも頼りにしています!

 

 

『母のために、こうしたい』という私の思いを 文十さんがすべて叶えてくれました

母は、私達にとって かけがえのない存在でした

母はボタニカルアートや布を縫い付けて一つの絵に仕上げ、幅広い趣味に親しみながら忙しくも充実した毎日を送っていました。趣味がきっかけとなってお仲間は増える一方。元気であれば、やりたいことがまだ沢山あったと思います。

『歌を詠む 月に一度の友なれど 突然逝きぬ 思い残らむ』

これは母がご友人を詠んだ短歌ですが、まさか自分が急に倒れてこの世を去ることになるとは、本人も想像していなかったと思います。


  

素晴らしいご提案とご対応に感謝しています

母が他界したのは、2023年11月14日でした。急な別れだったものの、葬儀は執り行わなければならない。愛する母をきちんと見送りたいと考えた末、私が選んだ葬儀社さんは文十さんでした。身内の住まいから近いことに加え、『母の作品展をしたい』という希望を叶えられるのは、文十さんしかないと思ったのです。今改めて振り返ると、その判断をした自分を褒めたいくらいです。

大勢の方にお集まりいただきたい一心で、日程を決める際にわがままを言い、その節は本当に申し訳ございませんでした。


担当の伊藤さんをはじめスタッフの方々は、提供可能なものをお教えくださったほか、絵の飾り方まで考えて私をサポートしてくださいました。葬儀に際しては、母のきょうだいやいとこ達も助けてくれたのですが、同じくらい親身になって対応してくださり、本当に感謝しています。葬儀について、霊柩車の運転手さんからお褒めのお言葉をいただいたのには驚きましたが、担当の伊藤さんだけでなく大勢の方が葬儀のために動き、見ていてくださるのだと実感したものです。


 
 

お別れの場は、母の個展状態でした

通夜や葬儀とは別に、『お別れ会』と称して趣味のお仲間方のお参りを、そして飾っている作品を引き取りたい方へお渡しする『形見分け会』のような会も行うことができました。会場を埋め尽くす勢いで飾った母の作品をご覧いただき、思い出話に花を咲かせて和やかな会になり、母らしいお見送りができたと思っております。お越しくださった方々にも好評で、葬儀に点数をつけるならば100点満点の120点、いや150点です。



着物をリメイクした服や母が好きだった柿とみかんを棺に納めることができただけでもありがたかったのに、サプライズでガリガリ君を頂戴し、本当に嬉しかったです。



 
 

初めての経験でしたが、いい勉強になりました

葬儀を終え、ホッとしたのも束の間。やるべきことの多さに戸惑いつつも、分からないことがあればご担当の伊藤さんに連絡を差し上げ、聞くことができるので安心しています。葬儀の後 家までお参りに来てくださる方がいらっしゃり、人との繋がりやご縁のありがたさも、身にしみて感じている次第です。


伊藤さんをはじめ、葬儀社の方々には何から何まで助けていただき、感謝しかありません。いつか何かあれば、その時もまた頼らせていただきたいと思っております。本当にありがとうございました。

 

太田さんをはじめスタッフの皆様には感謝しかありません

頼もしき大黒柱を見送るにあたって

父が亡くなり、家族を守るためにどれほど汗水流してきたのか、父のさりげない気遣いや優しさに何度救われたかを思い返しておりました。
その恩に報いたい、山も谷もあった人生を立派に生き抜いた父をしっかり見送りたいというのが家族の思い。昔からサライの社長さんやその奥様も知っていますし、かつて親族も心のこもった葬儀をしていただいたので、父のお別れの場もぜひにと、平安会館 文十鳳凰殿さんにお願いしました。

 

「遺族」と呼ばれる人になり…

父が亡くなった際に駆けつけてくださった方の対応もスピーディで安堵したことを覚えています。
お寺の手続きなどだいたいの流れを決めるのも滞りなく済みました。
しかし、当時は自分で思うよりパニックというか、落ち着いた状態ではなかったのでしょうね。
のちのち見直して変更したい点もいくつか出てきたのですが、それを担当の太田さんに相談すると快諾してくださり、あとの対応もスムーズ。終始安心してお任せできました。

 

「まさか」のお心遣いの連続

打ち合わせ当初は、気持ちがこもってさえいれば従来の葬儀でいいと思っていました。
ところが太田さんは初めてお会いする方なのに不思議と何でも話せて、そういった会話を糸口に、父らしい葬儀ができるよう、さまざまな提案をしてくださいました。

「大あんまきが好きだった」と何気なくお伝えしていたのですが、なんと式当日はサプライズで美味しそうな大あんまきを飾っていただいたのです。
父の喜ぶ顔が浮かぶようで家族も心が温まりました。
担当してくださった太田さんには感謝しかありません。

 

頼りにしています

今は、父の葬儀の段取りや出席してくださった方の記録を残すため、パソコンに向かう日々。
いつか家族に何かあった時、子供たちの道しるべとなれば何よりです。
各手続きについて私自身は自分でしておりますが、平安会館 文十鳳凰殿さんからも案内が来ていて、こういったサポートまでしてくださるのだと手厚い支えに感心しています。何かあればまた相談させていただきたいです。

「すべて任せて間違いない」そんな安心感の中で、ゆっくりとしたお別れの時間を持つことができました

愛のある厳しさ、凜とした強さでまっすぐに生きた母でした

母は、会社を立ち上げた父を陰日向となって支えてきた人です。
仕事のこと、従業員のこと、家のこと…。すべてに真心を尽くしてきました。
曲がったことは許さず、叱るべきところはきちんと叱る厳しいところもありましたが、そこにいるだけで皆の心がなごみ、あたたかくなる人でした。

子供、孫、ひ孫。皆に惜しみなく愛情を注いでくれた母。
父がかつて「お母さんは太陽のような人だ」と言っていたことも、よく覚えております。

その父が亡くなる前、私に母のことを託しました。

その想いを汲み、介護が必要となってからもできる限り住み慣れた家で支えたいと、周りの方々のお力もお借りしながら励んでまいりましたが、最終的に素晴らしい施設にお世話になることができました。
その施設では母のことはもちろん、私たち家族のことも気にかけていただき、時折開催される “家族会” でも楽しい時間を過ごさせていただきました。

そうして最期は、遠方に嫁いでいた私の妹も駆けつけ、家族皆で見送ることができたことを今でも感謝しております。

 

「この人に任せておけば間違いない」と家族皆で確信しました

まだ母が存命中に事前相談をしようかという思いもよぎったのですが、すべてを決めておく気持ちにはなれないまま、迎えてしまった別れの日。
父の葬儀を経験してはおりましたが、やはりいざ母が亡くなってしまうと心の余裕は無くなってしまい、限られた時間の中で決めなければならないことが多く、バタバタしてしまっていました。

しかし、担当の石橋さんがひとつひとつを丁寧に説明してくださり、要所要所でアドバイスをくださいました。
おかげで、この人にお任せすれば大丈夫だと安心してお願いすることができました。

私と私の妻とで母への想いが違い、意見がぶつかりかけてしまったとき、皆の希望が詰められるよう尽力してくださったのも、石橋さんはじめ文十鳳凰殿 平安会館の皆様です。

賑やかなことが好きだった母なので「あまりしんみりしすぎない、なごやかな雰囲気で」とお願いしたとおり、あたたかいお別れの場を設けてくださったおかげで、思い出に残る時間となりました。

 

参列してくださった皆様にも想いが伝わる場となりました

二日間しかないお別れの場は、ちょっとだけ時間をオーバーしてしまったくらい、居心地の良い雰囲気で満ちていました。

「お母さんの大好きなお花いっぱいで送ってあげられて良かったね。」

そんな声もいただきましたし、弔問客の方々が楽しそうに笑いながら帰っていったのは、ちゃんとお別れができたと心から感じているからでしょう。
それほどなごやかな空間を作っていただけたこと、私たち家族の想いをひとつひとつ聴いてくださったことに、感謝するばかりです。

 

すべてが「大満足」です

寂しい、悲しい空間となってもおかしくない “葬儀” ですが、私たちがちょっとこぼしただけの言葉まで全部受けとめていただいたおかげで、家族の想いが詰まったあたたかい “葬儀” になりました。

こうして母との思い出を穏やかな心地で振り返ることができるのも、きちんとお別れできたと感じているからだと思います。

「文十鳳凰殿 平安会館の皆様にお任せしたら間違いない。」

私たちの確信はやはり間違っていなかったと、葬儀でお世話になった全ての方々が教えてくださいました。
本当にありがとうございました。

急なことではありましたが、 大満足の葬儀を行うことができました

我が家の頼もしい大黒柱でした

長年大工として腕を磨き、良いなと思った家を見つけると まじまじと観察し、仕事以外の時間でも勉強していた働き者の父でした。家の中央にあり、家を支えている柱のことを大黒柱といいますが、父はまさに我が家の大黒柱そのものでした。
私も父に家を建ててもらいましたが、細部まで考え、工夫を凝らしてくれた家はとても暮らしやすく、今なお父に守ってもらっているような感覚を覚えています。

 

急な別れ、迫り来る時間

そんな父が他界したのは、2022年9月1日でした。
急なことであっても準備を進めていかなければならず、戸惑う中で大きな助けとなったのは葬儀に詳しい人の存在です。妹の友人の中に、文十鳳凰殿 平安会館さんにてお勤めの方がいるので、すぐに連絡をとり、そのまま「文十さん」にお願いすることにしました。自分が喪主を務めるというのは初めての経験で、頼れる人がいてくれたほうが心強いと考えたのです。

現在の社会情勢を考えて家族葬にて執り行うことにしたところ、自宅から徒歩圏内に会館があったので、そちらに決めました。
できたばかりの会館だけあって設備はどれも新しくてきれいで、会館に宿泊した孫たちは興味津々。慌ただしい中でもくつろぐ時間を過ごすことができたと話していました。

 

葬儀について振り返ったとき

結論から先に言うと、全部良くて、満足のいく葬儀ができました。
友引で日延べをしたことで多少なりとも時間ができたこともあり、したいと思ったことは全てできました。私たち遺族の要望を叶えてくれた、担当ディレクターの内野さんをはじめ葬儀スタッフの皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

葬儀の後のことまで気にかけてくださる、気配りや思いやりに感謝

驚いたのは、葬儀が終わった後も何かと気にかけてくださったことです。
葬儀を終えた後にどういったことをしなければいけないか、手続きなどについて記載された冊子や内野さんから細かい説明をいただき、とても役立ちました。
実は昨日も、ご参列いただいた皆様へお送りする忌明けの品物をどうするかについて、内野さんと打ち合わせをしたばかりなんです。
いろいろと相談にも乗っていただいて、良い出会い・ご縁に感謝しています。

本当にありがとうございました。

太陽に見守られるなかで「最後のツーリング」をしました

いい父親だったと尊敬しています

父は仕事での苦労や自分の弱みを決して見せない男でした。それでいて、娘のお願いごとは何でもかなえてあげる甘いお父さんでしたし、孫が生まれてからは目尻が下がりっぱなしのおじいちゃんでした。

私とは好きなものが似ていたので、一緒にいろんなことを楽しんできました。
バイク仲間とのツーリングに連れて行ってもらうこともあり、そこでは仲間に愛されていい笑顔を見せる父の姿を見てきました。
波瀾万丈な人生でしたが、やるべきことをしっかり成し遂げ、駆け抜けた姿を今も思い出し「お父さんすごいね」と心の中で伝えています。

 

丁寧な説明で「安心」をもらいました

文十鳳凰殿 平安会館さんには5年前、会員だった祖母の葬儀の際にお世話になりました。
その時は父が喪主で、私にとっては葬儀じたいがほとんど初めてのことでした。それから父が会員を受け継ぎ、今回またお願いする運びとなりました。

もちろん私は、喪主を務めるのが初めてで不安なことばかりでした。特に、費用に関しては、相場も分からず、低すぎても失礼になるし高すぎると負担になるし…と悩んでいました。
すると、担当の磯貝さんが過去の例を挙げながら、親身になってさまざまなことを教えてくださいました。丁寧な説明があったおかげで、安心して決めることができました。

 

温かく父らしさ溢れた葬儀に大満足です

「葬式じゃなくて最後のツーリングに来たんだ」と、父の仲間たちが駆けつけてくださいました。霊柩車の後ろにいつもと同じ順にバイクが連なり、出発。それが父との最後のツーリングでした。

大好きな矢沢永吉の品々に囲まれ、天気にも恵まれ、最後にして最高のツーリングだったと父も満足してくれたと思います。
派手好きな父なので、ぜひ盛大に送り出したい。私にはそんな思いがあったので、実現できて本当によかったです。

葬儀に参列してくださった方々からも、温かい言葉をたくさん頂戴しました。
「会葬礼状の文章は、人柄がよく表れていた」「肉親じゃないけど泣けた」など、父らしさがみなさんに伝わっていたのだと嬉しく思っております。

 

今改めて感謝を…

実は昨日、亡くなってから初めて父が夢に出てきました。いつものようにソファーに座っていたのです。父も同じように、葬儀のことを振り返っていたのではないかと思いました。

ここまで育ててくれてありがとう。尊敬できるお父さんだったよ。孫の顔を見せられたし、俺、親孝行できたよね。

今、前向きな気持ちでいられるのも、文十鳳凰殿 平安会館さんでいい葬儀ができたおかげです。心から感謝しております。

突然で、すべて分からないことばかり…けれど1つ1つ、丁寧に教えてくださいました

父を送り出してから、まだ2年半。

お別れは本当に突然でした。

家事全般に畑仕事、そして、町内やお寺さんとのお付き合い。夫婦共働きで、同居していたこともあり、私たちは本当に母に頼りきりでした。
孫にとっては「もう1人のお母さん」とも呼べる存在で、「まだ10年は元気でいてもらわなきゃ」と、皆で常々話していたほどです。

そんな母が他界したのは、2021年5月3日のこと。父を見送ってから、まだ2年半。本当に突然のお別れでした。

すぐに ”文十さん“ にお願いをしました。

我が家は代々、葬儀は文十鳳凰殿 平安会館さんにお願いしています。今回も、すぐに「鳥山さん、いますか」と父の時にお世話になった鳥山さんを指名し、ありがたいことに対応していただきました。

前回のこともあり、私たち家族のことをよく理解してくださっている鳥山さん。突然で、何も分からない私たちに優しく寄り添い、すみずみまで心を配って良いご提案をしてくださいました。

「父の時はこうだったから、今回も…。」

「母の日が近いから、カーネーションを…。」

おかげで、涙、涙のなかではありましたが、ぬくもりいっぱいの雰囲気に包まれて母を送り出すことができました。

「残された者で、仲良くやっていくよ」という母への想いが、葬儀全体を通しての私たちのテーマだったように思います。

前回、父の時と大きく違ったのは、コロナ禍での葬儀だということです。

どうすればいいんだろう…。当然、そんな戸惑いもありました。
けれども、私たちが分からないことは鳥山さんが1つ1つ丁寧に教えてくださり、いつの間にか不安は払拭されていました。

多くの方がそうなのでしょうが、私たちも、今回は少しこぢんまりとした葬儀となりました。
しかしながら、今振り返っても「無事に終えられて本当によかった」と心から安堵できる…そんな、涙と笑顔いっぱいの時間になったと思います。
支えてくださった文十鳳凰殿 平安会館の皆様に、感謝、感謝です。

葬儀を終えた後も、お配りした会葬礼状をご覧になった方から「読むだけで泣けたよ」「大きな存在のお母さんだったんだね」と声をかけていただき、母のことをちゃんと伝えることができたのだと実感しています。

実は、プライベートでも繋がりのある鳥山さん。
葬儀については難しいことが多く、きっとこれからも頼らせていただくと思います。毎度賑やかな我が家ですが、よろしくお願いしますね。

かけがえのない母を無事に送ってやりたい…ただその思いだけでした

母は農業に精を出し、加えて家事に育児にと大忙しの毎日を送っておりました。
時間をみつけては隅々まで掃除を行ってくれるおかげで、我が家にはいつも清々しい空気が漂っていたように思います。歳をかさねても身体を動かした働き者でした。
また、皆が集まれば嬉しそうに笑っていた母の姿を今も思い出します。盆や餅つき、正月など賑やかな声が響く輪の中で、ひときわ嬉しそうでした。

「ただいま」と言って帰れる家があること、そして大勢が集まれる場所があることは、私たちにとって当たり前でしたが、すべては母が守り続けてくれた宝なのだと気付かされております。

 

「ここにお願いする」と心に決めていました

約1年の入院生活を経て、母は最期を迎えました。
これまでずっとお世話になった母をしっかり見送りたいという気持ちだけが胸に広がり、具体的に何をどうしようということは考えられませんでした。

ただ、文十鳳凰殿 平安会館のスタッフさんたちは以前から寄り添ってくださる方ばかりだと存じ上げていましたので、母を見送るときには絶対にお任せすると決めていました。
短い時間のなかでも細やかで丁寧な打ち合わせをしていただき、不安は何ひとつありませんでした。

おかげで私自身、母を無事に見送ることができました。こんなふうに感じられるのも、すべては文十鳳凰殿 平安会館さんで葬儀を行ったからだと思っています。

 

町内の方も来てくださり、なごやかな空気に包まれたひとときでした

参列してくださったのは、だいたい70名から80名ほどでしょうか。
この場所で長年暮らしてきた母を慕ってくださる方もいらっしゃり、お別れの言葉を伝えに来てくださいました。
さまざまな方と挨拶をさせていただきながら改めて、母がこれまでの日々を真面目にコツコツと励んできたからこそ、多くのご縁に恵まれたのだと感じました。

何事にも真っ直ぐ取り組み、一歩ずつ確かな歩みを進めるその姿を、ずっと見てきたはずだったのに…。別れを迎え、ハッとさせられたことを覚えています。
人生という名の道を彩っていくのは自分次第なのだと、母が教えてくれたのかもしれません。

 

母への感謝をこれからも伝え続けていきます

母はデイサービスを利用しながら、普段と変わらない生活を続けていましたが、亡くなる1年ほど前から入院を余儀なくされました。
コロナ禍ということもあり、十分に親孝行をできたのか、正直今でも分かりません。
葬儀の際は、母をしっかり見送ってやるのが自分にできる最善のことだと思っていましたし、文十鳳凰殿 平安会館さんのおかげでそれは実現できたと思っています。

しかし、これで何もかもが終わったわけではありません。
母からもらった命を大切にするのはもちろん、心の奥から込み上げてくる感謝の気持ちを伝え続けていくことが、私にできる母への恩返しだと思っています。
孫やひ孫にも母の足跡を語り、激動の世を生きてきた人の “強さ” を伝えていきたいと思います。

母の日に贈る感謝

母は、一生懸命働きながらも家事をこなし、女手一つで、私と姉を育ててくれました。 若い時は、それは苦労苦労の連続で… 本当に感謝の念しかありませんでした。

母は最期、意識こそなかったものの、私の手をいつもより少し握り返してくれたような気がしたんです。

そんな話を、親身に母のことを聞いてくださる担当者さんへ、つい話していました。

 

母を送る日のちょうど1週間前は、“母の日” でした。

担当者さんが「1週間遅れの母の日を」と母の好きだった刺身を用意してくださり、今までの何十年もの感謝を、カーネーションの花束と共に母へ届けることができました。

母を送る葬儀という場ではありましたが、万感の想いを込めて感謝を伝えられ、母も晴れやかな笑みを浮かべてくれているのではないか…。

また、ひ孫には一層目尻を下げ、にこにこしていた母は、これからも私達家族を変わらぬ愛情で見守り続けてくれている… そう思っています。

担当者 福島より

心温まるご葬儀を心掛けて、日々勉強しているつもりですが、逆に故人様やご家族様から教えていただくことや気付かされることが多い仕事です。

最後の最後に心からの「ありがとう」が言えるご葬儀を目指して、これからも頑張ってまいります。

お花畑の中で

母との日々を振り返ると、温かな思い出がいくつもよみがえってきます。

内職に家事、2人の子育てと大変だったと思いますが、どんな時も朗らかに笑い、我が家を明るく照らしてくれた母でした。

そんな母を、「笑顔で母親らしく送ってあげたい」と担当ディレクターさんに伝えました。

母の趣味は庭で季節の花を育てることでした。
庭にプランターを並べ、水やりに草取りにと丁寧に手入れをしていました。

愛情をたっぷり注いでいた様子を思い出すと、私達も孫達もこうして母の手に守ってもらったのだと感じ、祭壇も季節の花を入れた花祭壇にしてもらいました。

また、最後のお別れのときにはたくさんの花を柩に入れることができ、まるでお花畑の中にいるようで、本当に母らしいお別れができたと思います。

担当者 小林より

明るく笑顔が素敵だったお母様と同じように、喪主様をはじめ、ご家族様からとても気さくに接していただき、ご一緒させていただいた私もとても明るい気持ちになれました。

お写真も撮らせていただき、お帰りの際には喪主様より「母らしいお別れができました」と大変嬉しいお言葉をいただきました。

ご一緒させていただいたご縁に感謝し、今後も日々精進してまいります。