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「100歳おめでとう」 あたたかく送り出すことができました

とにかく優しい父でした

私達は父に叱られたことがありません。いつも家族をあたたかく見守り、孫やひ孫に囲まれ、穏やかに笑っていた姿が印象に残っております。

老人会の役員を引き受けるなど地域の皆様とも交流させていただきました。皆様との旅行では宴会場で歌声を披露したと聞いておりますから、さぞかし父も楽しんでいたことと思います。

 

本来ならば多くの方に…

「お世話になった皆様に、父に代わりお礼をお伝えしたい。」

そう考えていたのですが、コロナ禍のためやむをえず、少人数での葬儀となりました。その点に関してはいまだに悔やまれます。

しかし、なんとも嬉しいサプライズがありました。
10月12日。100歳の誕生日を迎えたその日に亡くなった父のために、担当の内野さんとスタッフの方々がケーキを準備してくださったのです。

 

ハッピーバースデイ

可愛らしいケーキにろうそくをたて、ハッピーバースデイの曲を流してくださいました。別れの場とばかり思っていた葬儀で、まさかこのようにお祝いをしてくださるとは考えてもおらず、驚きながら涙ぐんでしまいました。

沈んでいた気持ちはいつの間にか消え、和気あいあいとした雰囲気になり、私達は100歳まで頑張ってくれた父に心から感謝することができました。

「元気なうちに、もっと親孝行をしておけば…。」

いまでもふとそう考えるのですが、最後はあたたかく送り出せたことで心残りが一つなくなりました。

 

きちんと父に別れを告げることができました

それだけではありません。
細やかに気を配り、親切にしてくださった担当の内野さんとスタッフの皆様のおかげで、心配も不安もなく葬儀を終えることができました。
喪主として気を張らなければならない場面もありましたが、しっかり父を見送ることができたと思います。

母の葬儀の際もたいへんお世話になり、お頼みして本当によかったと感謝するばかりです。

ありがとうございました。

父もきっと安心して母のもとへ向かったことでしょう。

コロナ禍でも しっかり見送ることができました

家族思いな頑張り屋でした

母は父と二人三脚で農業に励み、家族を支えてくれました。
嫁ぎ先が農家でしたから、毎日が忙しく「大変だ」と言っていたこともありました。しかし、母はただ現状を受け入れ、自分にできる全てを捧げていたのだと思います。
そんな農作業も、晩年にはすっかり生き甲斐となっていたのでしょう。亡くなる半年前まで畑で草取りをしていました。最後まで自分らしくあり続けた母だったと思います。

 

コロナ禍での葬儀…不安は大きかったです

母が亡くなり、父を見送る際にも利用させていただいた文十鳳凰殿 平安会館さんで、またお世話になろうと決めました。

しかし、喪主として葬儀をするのは実に34年ぶり。滞りなくすすめられるか不安でした。
また、以前と違って現在は“コロナ禍”です。
「人が集まるのは良くない」とされる世の中で葬儀を行うことへの後ろめたさのような感情もある反面、それと同時に悔いの残らないよう、しっかり見送りたいという思いもありました。どこで心の折り合いをつけるかと、打ち合わせまでは心配事が絶えなかったです。

 

家族葬でも心のこもったお見送りができました

お寺さんのことも昨今の葬儀のことも分からないことばかりでしたが、担当の小林さんにはゆっくり分かりやすくご説明をしていただき、本当に助かりました。

このたびは小林さんのアドバイスのもと、家族葬として執り行うことにしました。
家族葬といえば、参列者が少なく簡略化されたものという印象があり、正直なところ「寂しくなるかな?」と思っておりました。
けれども、当日は小さな畑の設営や、母の大好物だった“うどん”を用意してくださり…。小林さんのはからいで好きなものを集めていただいたお別れの場に、きっと母も喜んでくれていたと思います。

 

悔いのない葬儀ができて本当によかったです

慌ただしい中で準備をしなければならず、人生でたった一度きりの、やり直しもきかないのが葬儀です。
全てを終えた後になって「もっとこうすれば良かったのでは」と私自身が思ったり、周りから言われたりするのでは…と危惧していたのですが、その心配もなく、満足のいくお見送りができました。

途中、思わぬハプニングもありましたが、小林さんをはじめスタッフのみなさんに柔軟に対応していただき、何の問題もなく執り行うことができました。
こちらの希望を受けとめてくださったスタッフのみなさんには、本当に感謝しかありません。

葬儀後も何かとすべきことはたくさんありますが、文十鳳凰殿 平安会館さんがアフターサポートもしてくださっているので、安心して対応できています。
このたびも文十鳳凰殿 平安会館さんにお世話になってよかったと、心から思っています。ありがとうございました。

急な別れに戸惑う私たちをそばで支えてくださり 本当に感謝です

別れは もっと先だと思っていました

80代も半ばを過ぎれば多少なりとも体の不調が出てくるものですが、父は自力でトイレに行き、いつも通りの生活を送っていました。身内びいきかもしれませんが、比較的元気に暮らしていたと思います。

私たちには文十鳳凰殿 平安会館さんに勤めている身内がいて頼りになり、もし仮に何かあったとしても大丈夫だと、葬儀への不安は一切ありませんでした。けれども、そうした気持ちの余裕が一瞬にして吹き飛ぶほどに、別れは突然訪れました。

 

葬儀のプロに助けてもらえる安心感

2021年9月22日に父が急逝し、残された家族は現実を受け止めることから始めなければなりませんでした。
通夜や葬儀の日程決めから誰に連絡すべきかなど、やるべきことは山のようにあります。

「どのように見送りたいか」と考える余裕などなかったため、担当の内野さんからの提案や懇切丁寧な説明が非常にありがたかったです。混乱していた割には、打合せは非常にスムーズにいきました。
思えば、父のことで連絡を差し上げ、最初にお会いしたスタッフの方や他の方も、説明が分かりやすかったです。どんな質問にも的確に答えてくださるので、経験豊富なスタッフの方が多く在籍しているという印象を受けました。

 

ろうそくに火を灯して行った、心のこもったお葬儀

葬儀の中で印象的だったのが〈献灯の儀〉という儀式です。
喪主である私が灯したろうそくの火を、文十鳳凰殿 平安会館さんに勤めている身内が祭壇まで運び、祭壇のろうそくに灯してくれました。

傍目には、ろうそくに火をつけただけと思われるかもしれません。
しかし、父の息子である私がつけた火を、父の娘が祭壇へ運び、ろうそくに火を灯すということ…。この行為のひとつひとつに意味があると考えたとき、お別れの儀式を行っている実感が湧いてきました。

司会の方が「お父さん、見ていてくれてますよね。いつも長女さんは、このように大切な命をお送りするお手伝いの仕事をしていますよ」とナレーションを入れてくださったのも、感慨深かったです。

そうこうしているうちに、葬儀は滞りなく終了しました。
コロナ禍の中での葬儀のため、参列者の人数は多くなかったものの、参列した方から「良い式だった」とお褒めの言葉をいただきました。それもこれも全て、細やかに気遣ってくださったスタッフの皆様のおかげです。

 

もしものときには またお願いします

つい先日、きょうだいで集まって父の49日忌法要を執り行いました。こうして、すべきことを一つずつ終わらせていくことで、気持ちも落ち着いていくのかなと感じている次第です。

母には父の分まで長生きしてもらいたいと思っているのですが、もしものときには、文十鳳凰殿 平安会館さんにまたお願いしようと考えています。
大切な人に何かあり、困っている方を見かけたら、私は文十鳳凰殿 平安会館さんを薦めたいと思います。どのスタッフさんも良い方ばかりで、必ず力になってくれるから安心していいと、そう伝えます。

ご担当の内野さんをはじめ、スタッフの皆様、その節はお世話になりました。
本当にありがとうございました。

安心して母を見送ることができました

苦労多き人生を歩んだ母でした

母が戦争で伴侶を失ったのは、25歳の時でした。
それからというもの、母は朝から晩まで農作業に汗を流して、女手一つで私たち二人の姉弟を育ててくれました。今のように便利な機械などない時代ですから、牛を使って土を耕していた姿が心に残っています。
もともと真面目な性格でしたが、家族を守らなければという責任感にも似た思いが母を突き動かしていたのでしょう。男性顔負けに働いてくれて…。

その努力のおかげで、私たちの平穏な日常はありました。在りし日を振り返れば、母の行動の端々から、私たち家族への愛情が感じられました。

 

葬儀への不安を取り除いていただきました

101歳で母はこの世を去りました。

コロナ禍ということもあり、今回は家族だけで見送ろうと決めました。
家族葬で、しかも私自身が葬儀を取り仕切るのは初めてなのもあり、正直わからないことだらけでした。葬儀をつつがなく執り行い、きちんと母を見送ることができるだろうかという不安でいっぱいでした。
しかし、葬儀の打ち合わせや当日中、担当の小林さんが丁寧にサポートしてくださり、無事に見送ることができました。

訃報を聞きつけた友人の方もご弔問くださり、急遽、食事や席が追加となりましたが、迅速に対応してくださいました。
最後には、自宅の中陰段も綺麗に飾っていただき、法要の予約までできたので、終始安心して過ごすことができました。

 

母らしい見送りができました

母が生前、畑で育てた野菜を近所の方にお裾分けしていたことを受けて、担当の小林さんが会館に小さな畑を作ってくださいました。

彼の地でも野菜作りができるように種もお供えしてくださり、胸が熱くなりました。きっと母も喜んでくれていると思います。
母の好物である「いちじく」もお供えし、柩の中に入れることもできました。

また、長年大事にしていた御朱印帳も、まるで母を囲うように柩へ入れてくださいました。好きなものに囲まれて、安心して旅立てたのではと思っております。
私たち家族も母らしい見送りができたと、胸をなで下ろしました。

 

よくしていただき、大変満足でした

「葬儀」というと形式張ったイメージがあったのですが、今回のように柔軟で、その人らしい見送りができるのだと、大変驚きました。
また、スタッフの皆様には丁寧かつ迅速な対応をしていただき、当初にあった不安を取り除いていただきました。葬儀を終えてからも、家族で「いい葬儀だった」「よくしてもらった」と話しております。

苦も楽も経験し、一世紀という人生を歩んだ母に相応しい最後だったと感謝しています。

文十鳳凰殿 平安会館の方々やご担当の小林様、皆様に心より感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

家族葬のイメージがガラリと変わりました

堅実に生きた母でした

在りし日の母を偲んだ時、一番に浮かんだのは「堅実」という言葉でした。
仕事に家事に子育てにと、励んできた頑張り屋。派手な遊びはせず、食事や着る物なども贅沢することはありませんでした。

自分は多少我慢してでも、私たち子どもには何でも惜しみなく与えてくれ、習い事をはじめ、私たちがやりたいと言ったことに反対したことはありませんでした。
ただ一つ、いつも必ず「やるからにはきちんとやりなさい」と言っていたことを思い出します。真面目で真っ直ぐな母らしい言葉だったと偲んでいます。

 

細やかなご対応に感謝しています

もともと父が平安会館 文十鳳凰殿さんを見学し、会員になったのがきっかけで、今回こちらで母を送り出すこととなりました。

母は無理がたたって30代からリウマチを患っており、ここ6年ほどは寝たきりの状態でした。
いつかは別れが訪れると頭では分かっていても、子どもとしてはやはり先であってほしいと願うもの。その日を迎えてもまだ心が追いつかずにいました。

それでも葬儀の準備は進めなければなりません。
「小規模でも、心のこもった葬儀にしたい」そう思っていましたので、担当の伊藤様をはじめ、スタッフの方にあれこれ要望を言ってしまいましたが、どなたも素早く対応してくださいました。

葬儀というのはどうしても形式張ってしまうイメージがありましたので、スタッフの方の細やかな心配りや柔軟な対応に驚くばかりでした。教育が行き届いている、という印象を強く受けました。

また、通夜・葬儀という短い時間ではありましたが、担当の伊藤様は父とも気さくに話をしてくださいました。少々気難しい所もある父が心を開いて話している様子が、息子としては嬉しかったです。

 

家族葬の印象が変わりました

初めて「家族葬」という言葉を聞いた時は、正直安くて簡素なものというイメージを持っていましたが、今回、平安会館 文十鳳凰殿さんにお願いして、それがガラリと変わりました。祭壇は立派でしたし、一般葬と変わらないほど丁寧にお見送りをしていただきました。

「やるからにはきちんとやりなさい」

生前そう言っていた母にふさわしい、しっかりとした見送りができたように思っています。

別れの悲しみや慣れない葬儀で不安を感じる、私たち遺族への精神面もサポートしていただいたと感謝しています。

 

ご縁はこの先も…

今回、母らしいきちんとした葬儀ができ、私ども家族にとっても心のけじめをつけられた素晴らしい機会だったと感じております。
もし、その日がきたなら、父のこともお願いしたいと思っております。

遺族の心に寄り添った葬儀をご提案くださった担当の伊藤様をはじめ、平安会館 文十鳳凰殿の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

凛と生きた大好きなおばあちゃんでした

我が家と文十鳳凰殿 平安会館さんとのご縁は、平成30年に祖父を亡くしたときからでした。

そのとき担当してくださったのが、葬祭ディレクターの榊原さんでした。
不安や悲しみ、戸惑いの中にいた私たちの気持ちにしっかりと寄り添ってくださったお蔭で、とてもいい葬儀ができました。その際の葬儀が心に残り、おばあちゃんも「自分のときも榊原さんが良いなぁ」と言っていたんです。

令和2年の暮れに亡くなり、翌年1月3日に葬儀となりました。
バタバタとしていましたが、家族としては今回もぜひ榊原さんに担当していただきたくて、なかば指名のような形でした。「お任せしておけば大丈夫」と安心していたことを覚えています。

ちょっと厳しいところはありましたが、おばあちゃんは心の温かい人でした。「時間作っておいで」と声を掛けてくれて、私が遊びに行くと喜んでいたっけ…。
そんな記憶が、時を経た今もおばあちゃんの愛を私たち家族に伝えています。

打合せの中で、おばあちゃんはコーヒーが好きだったという話をしていました。
すると、式当日、「最後に大好きなおばあちゃんにコーヒーを注いで飲ませてさしあげて」と、それはもう絶妙なタイミングで持ってきてくださって…。私たち家族は、思わず涙が溢れました。

「香ばしいコーヒーの香り、届いたよね。」
おばあちゃんもきっと、美味しく味わっていたと思います。
おじいちゃんの時もそうでしたが、何気なく交わした会話から様々な演出をしてくださり、その一つひとつが心にすっと染み入る感覚でした。

家族の気持ちを決して置き去りにせず、心に寄り添ってくださっていると随所で感じられました。

祖母が亡くなり、約半年。
大好きなおばあちゃんとのお別れはとても辛かったですが、悲しみの中にも温かい雰囲気で送ってあげられたお蔭で、今は家族皆元気にやっています。
一周忌まであっという間かもしれません。

おばあちゃんを気持ち良く見送ってあげることができて良かった。
おじいちゃんの葬儀のとき、信頼できるディレクターさんに出会えて良かった。
榊原さんを通じ、素晴らしいお仕事だと思いました。
榊原さんとの出会いに感謝です。本当にありがとうございました。

母も「良い葬儀だった」と満足していると思います

文十鳳凰殿 平安会館さんとは長いお付き合いになります。

文十鳳凰殿さんからご依頼をいただき、私どもの阿弥陀寺でお式を行うことがございます。私の父が他界した際も、文十鳳凰殿さんにお世話になりました。

今回 母を見送るにあたり、父の時同様、私たち家族に寄り添いながら母らしい葬儀となるよう尽力してくださり、心から感謝しております。

親切丁寧に相談に乗っていただき、準備の段階でも色々な面に気を配ってくださっていたのですが、なかでも用意していただいた “胡蝶蘭” が印象に残っています。
とても綺麗で華やかだったので、きっと母も喜んでくれたのではないでしょうか。本当にありがとうございます。

笙(しょう)と龍笛(りゅうてき)の音色に包まれた式でした。

雅楽で使われる楽器である 「笙」と「龍笛」。

葬儀でも用いられるもので、実は今回、笙を私の長男が、龍笛を二男が演奏いたしました。
二人とも可愛がってくれた祖母への感謝と、向かう先で安らかな時を過ごしてほしいという願いを込めて奏でていたのでしょう。
お堂に響く音色は、その場にいる全員の心にしみわたりました。

文十鳳凰殿さんのご理解とご協力のもと、寺ならではの式を執り行うことができて「さすが文十さん」と思っております。

 

法名も自分で用意していた母

母はとてもしっかり者で、子供である私にも整理整頓や時間を守ることについて「きちんとしなさい」と言っておりました。
もちろん母自身も実行していて、そのような性格だと分かってはいたのですが、「法名を自分で用意した」と聞かされた時はさすがに驚きました。
さらに、亡くなった後に着る白衣や新品の足袋も準備していて、二度驚きました。

常に先々を見据えていた母ですから、自分の葬儀がどのようなものになるか気になっていたはずです。

このようなコロナ禍というご時世のため、皆様にお越しいただくのはなかなか難しいもの。
私たちも感染拡大防止の観点から、今回はほとんど家族葬のような形で葬儀を行いました。

ただ親しくお付き合いくださった方々に見送っていただけるならばと、葬儀の前に焼香の時間を設けました。そうした普段とは異なる段取りとなっても、文十鳳凰殿さんはしっかりサポートしてくださり、ありがたいかぎりです。
担当の小林さんには、たいへん感謝しております。

 

お寺でのお式はお任せください

父の時も、そして今回の母の葬儀を通しても、住職という立場に加え、家族の立場でも寺でのお式の在り方について考えることができたように思います。

文十鳳凰殿さんのお力をお借りしながら、これからもより良い葬儀を行っていきます。
その際はぜひ私どもにお任せくださいませ。

最後に夫と共に満開の桜を眺めることができました

穏やかな夫と手を携え、歩んでまいりました。

人を悪く言うことなど一切ない、非常に穏やかな夫でした。
我が子にも優しく接し、夫として父親として、いつも一生懸命。日だまりのような笑顔を思い出すと、今でも胸が温かくなります。
家族にとって大きな存在だったことはいうまでもなく、暮らしの中に夫がいた日々の尊さを実感するばかりです。

どんなときも手を携え、歩幅と力を合わせて歩んできた私たち。
紡いだ思い出はかけがえのないものとなり 心の中に刻まれています。

 

どんなときも親切・丁寧な対応でした

我が家では、葬儀はいつも文十鳳凰殿 平安会館さんにお世話になっておりました。
今までに7人を見送りましたが、どんなときも真摯に対応してくださいました。
分からないことがあれば丁寧に相談に乗ってくださったので、安心してお任せすることができました。

コロナ禍ということもあり、初めての経験も多かったのですが、いつもよくしていただく葬儀社の皆様が傍にいらっしゃったので、特に大きな不安はありませんでした。

また、大勢で故人を見送る昔ながらの葬儀もいいですが、今回 家族だけで執り行う形もいいなと感じました。
夫との最後の時間をゆっくり過ごすことができましたし、家族で思い出にひたることもできました。

 

暖かな春風を感じながら最後のお花見をしました

お通夜前、斎場に向かう際に担当者の鳥山さんが、とある公園に寄ってくださいました。

そこで車をとめて棺をあけ、夫に満開の美しい桜を見せてくださったのです。
春風にそよぐ薄紅色の花々は本当に綺麗で、私も思わず見とれました。

「桜満開だよ」

そう夫に声をかけ、最後のお花見を楽しんだ私たち。夫の生前は、よく2人で桜を眺めつつ散歩をしたものです。
まさかそんな機会をいただけるとは思ってもおらず、嬉しくてたまらなかったことを覚えております。
夫も、きっと美しい光景を目にして喜んでいたことでしょう。

祭壇にも桜の花を飾っていただきました。
お忙しい中、お時間をとってくださった鳥山さんには心から感謝しております。

 

夫もきっと満足していると思います

遺影写真の夫は、とてもいい顔をしています。周りの方からもよくそう言っていただきました。
私たちはもちろん、夫もきっと悔いはないでしょう。

「私のときもぜひお願いします」と、「担当は鳥山さんに」と頼んでしまうほど、満足のいく葬儀を執り行うことができました。
担当の鳥山さんをはじめ、文十鳳凰殿 平安会館の方々が精いっぱい心を尽くし、親身になって寄り添ってくださったおかげだと改めて実感しております。皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

初めてのことばかりでいつも以上に頼ることが多かったと思いますが、安心してお任せすることができました。
このたびは本当にありがとうございました。

母は笑顔の似合う頑張り屋でした

私たちがまだ4歳くらいの時、父が他界しました。

それからの母は、朝も昼も夜も働いて私たちを育ててくれました。
私たちが中学生になってからは、正社員になって本格的に働き始めました。
まさにがむしゃらなあの努力がなければ、私たちはどうなっていたでしょう。

母は苦労人でしたが、明るい社交家でした。
自分より十歳も若い方々ともお付き合いがあって、ボウリングにカラオケ、ダンスに食事会と、楽しく過ごしておりました。
努力と笑顔で、周りと自分自身の暮らしを実りあるものにした母は、私たち家族にとって自慢の存在です。

 

すばらしいご提案とご対応に感謝しています

そんな母が他界したのは、2020年12月3日でした。
愛する母をきちんと見送りたいと思いつつ、コロナ禍でどのような形になるのか不安でした。
そんな中で、担当の鳥山さんのご提案とご対応に、どんなに救われたか分かりません。

母はボウリングが好きだったと伝えれば、ボールとピンの画像を祭壇に貼り、カラオケも好きだったと伝えれば、マイクの画像を印刷してくれました。

通夜は家族のみで行い、会葬者の方々にはその前後に来ていただくという手配をしてくださったおかげで、慌ただしさから解放されて心ゆくまで母との思い出を振り返ることができました。

また、お柩には、バラやカーネーションの花を母の年の数だけ入れようということになりました。
参列してくださった方々に一本ずつ入れていただき、母の顔の近くも、体のそばも、色鮮やかな花でいっぱいになりました。あまりに綺麗で、写真まで撮りました。

 

母の最期の望みを叶えてあげることができました

そして、母を霊柩車に乗せた後のことです。
担当の鳥山さんが、母の実家に立ち寄ってくださったのです。

母はずっと一人暮らしをしておりました。病気になってからは少し離れたところにある私の家に身を寄せていたのですが、思い出のつまった実家に「帰りたい」と、くり返し呟いておりました。そのため、一度は実家に連れて行こうと話していたのですが、その矢先に母は他界してしまいました。

霊柩車で実家を訪れた際には、前もって連絡をしていただいたおかげで親戚や近所の方々も来てくださいました。
母は懐かしい場所で懐かしい人たちと最後に会うことができて、きっと喜んでいたはずです。
私たち家族も胸のつかえが取れたことは言うまでもありません。

 

遠い未来には私のこともよろしくお願いいたします

参列してくださった方々には「安子さんらしい葬儀だね」と、たいへん好評でした。

私たち家族も、和気藹々というのでしょうか。
思い出話に花を咲かせながら、たくさん泣いてたくさん笑って、明るい母にぴったりのお別れをすることができました。

文十鳳凰殿 平安会館の方々には、担当の鳥山さんをはじめ、お世話になったという気持ちしかありません。
これまでも親戚の葬儀を何度かお願いしていましたが、今回も頼んで本当によかったと感謝しております。
次といっては何ですが、そのときもまた頼らせていただきたいと思っております。

本当にありがとうございました。

明るい叔母でしたが苦労人でした

叔母は、韓流ドラマとおしゃべりが大好きでした。
明るかったものの、女手一つで育てた息子に先立たれた時の悲しみは、察するにあまりあります。
それから20年ほど一人暮らしを続け、数年前に病に倒れ、入院を余儀なくされました。

心細かったのでしょう。お見舞いに行った私に、叔母は手を合わせて感謝してくれました。
叔母と私は似た者同士というのか、言いたいことを言い合って口論になったこともあります。
しかし、叔母のことはしっかり見送らなければと思っておりました。

そこで選んだ葬儀社が、文十鳳凰殿 平安会館さんです。
私の義父の葬儀をお願いしたことがあり、その時の打ち合わせの仕方も葬儀自体も申し分なかったからです。葬儀が終わった後も、何かとお世話になり、助けていただきました。
それが非常に嬉しかったことは、およそ8年前のことながらはっきりと覚えております。

 

お任せしてやはり正解でした

叔母が他界したのは夜中でした。
しかし、文十鳳凰殿 平安会館の内野さんはすぐに打ち合わせの段取りをして、お寺様に連絡をとり、枕経の手配をしてくださいました。分からないことだらけの私が質問をすれば、的確な返事をくださいました。
おかげで何の心配をすることもなく、まさに「お任せ」という心境で臨むことができました。

葬儀は、叔母が高齢なことやコロナ禍でもあったことを考えて、家族葬で行うことに決めました。
内野さんがご提案くださったプランは、家族葬とはいえ祭壇や花なども立派なものでした。
叔母のことをしっかり見送りたいという私の願いを叶えてくれたと、今も思っております。

 

困ったときに支えてくださる存在に感謝

叔母は息子に先立たれましたが、人生の節目節目で良きご縁に助けられておりました。
病気に倒れた後は、同じ建物の中に住んでいるお友達数名が、一日三度の食事を準備してくださいました。入院してからは、着替えの手配までしてくださり、子供でもそこまでできるだろうかと胸を打たれたものです。

そして、葬儀に際しては、文十鳳凰殿 平安会館の内野さんがあらゆる場面でしっかり支えてくださいました。振り返るにつけ胸に募るのは、あれだけのことをしていただいたという感謝の気持ちです。
最初から最後まで大満足でした。

 

これからもご活躍なさってください

私は、今でも週に一度は叔母のお墓参りをしています。
その時に葬儀への後悔ではなく、ちゃんとやり遂げたという穏やかな気持ちでお墓に向かうことができるのは、ありがたいことです。

私も年を取っていきますので、お墓参りや法要がいつまでできるか分かりません。
しかし、私の妻が頑張ってくれていますし、子供たちもいますから、叔母には葬儀と同じように安心してもらいたいと思っています。

そして、いずれ私自身が世を去るときにも、文十鳳凰殿 平安会館の内野さんのお世話になりたいと考えています。
見送られる私はもちろんですが、万事の手配をすることになる不慣れな家族も、きっと内野さんのことを心強く思うはずだからです。